中勘助3「銀の匙」の伯母さん

中勘助3「銀の匙」の伯母さん

栗駒星 037s
星の栗駒山への道

中勘助はほぼ80歳まで生きたが,生まれた時にはそれは難産で,生まれてからも虚弱体質で,神経過敏で日にちを措かず頭痛に悩まされた子ども時代の苦労を語ったのが,この「銀の匙」という作品である。そうした虚弱体質や腫れ物を直すために薬を飲ませていたのがこの銀の匙で,だったわけである。
人は幼くして病弱であることもあろうし,生まれてから一生病気一つしないで健康であることもある。人それぞれである。中勘助自身は虚弱のために苦労はしたが,その苦労はやがて美しい世界の見方に結晶していった点で,優れた文学者となった。中を育てた家族や親戚の苦労は推して量れるが,他でもない伯母の存在は実に貴い。誰しも惜しみなく愛情を注いでくれる者がいたからこそ何があったとしても生きて行けるものなのである。

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夕靄に煙る

銀の匙」の後編十六から,16歳になった主人公が育ててくれた伯母さんを久し振りに訪れるシーンが始まる。年老いて耳も聞えなくなり,目も見えなくなった伯母さんの姿は痛々しくもあるが,誰よりも底抜けにやさしい,その人柄は一切変わらない。

「伯母さんわかりませんか。□□です」
といつたら
「え」
といつて縁先へ飛んできて暫くは瞬きもしずにひとの顔をのぞきこんだあげく涙をほろほろとこぼして
「□さかや。おお おお □さかや」
といひいひ自分よりはずつと背が高くなつた私を頭から肩からお賓頭盧様みたいに撫でまはした。さうしてひとが消えてなくなりでもするかのやうにすこしも眼をはなさず
「まあ、そのいに大きならんしてちよつともわかれせんがや」
といひながら火鉢のそばに坐らせ、挨拶もそこそこにもつと撫でたさうな様子で
「ほんによう来とくれた、まあ死ぬまで逢へんかしらんと思つとつたに」
と拝まないばかりにして涙をふく。

そうして伯母さんは近くの魚屋から買ってきた二十数匹のかれいを煮て,全部食べろ食べろと言って出すのである。そして見えない目で大きくなった主人公の身体をなで回し,阿弥陀様にお礼の読経を始めるのである。その伯母さんは今は「ちらめく蝋燭の光に照されて病みほうけた体がひよろひよろと動くやうにみえる。」
生まれてこの方どんな時も主人公から離れず守り続けた伯母の姿である。
四王天清正の立廻りをしてくれた伯母さん、枕の抽匣から目ざましの肉桂棒をだしてくれた伯母さん、その伯母さんは影法師みたいになつてしまつた。」

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雲間からの月

その伯母さんという人は現在では母方の一番上の姉だということだが,名前も定かではない。
さてそうした伯母さんは神経過敏で虚弱体質の主人公にどう接していたかは全編に亘って隅々まで書かれている。今日はその中から前編の「十四」の食べることを取り上げたい。

生れつきの虚弱のうへに運動不足のため消化不良であつた私は、蜂の王様みたいに食ひ物を口に押しつけられるまでは食ふことを忘れてゐて伯母さんにどれほど骨を折らせたかわからない。

そこで伯母さんはどうやってうまく食の細い神経過敏な子どもに食べさせていたのだろうか。こうした子どものこだわりはまず食べることに現れる。自分もそうであった。匂い,見た目が怖い,口に入れたときの食感など,嫌いになると死んでも口にしないようになるのが,子ども時代の唯一の主張でもある。ところが伯母さんはさすがに上手い。こうである。

羊羹のあき箱に握飯をつめ伊勢詣りといふ趣向で、伯母さんが先に立つて庭の築山をぐるぐるまはり歩いたあげく石燈籠のまへで柏手をうちお詣りをして、松の蔭にある石に腰をかけてお弁当をたべたこともあつた。またあるときは妹や乳母もいつしよに待宵の咲いてる原へ海苔まきをもつていつて食べたこともあつた。

気が向いて食べ始めると外であるから人が来ることがある。

杉や榎や欅などの大木が立ちならんだ崖のうへから見わたすと富士、箱根、足柄などの山山がかうかうと見える。私はいつになく喜んで昼飯をたべてたのに折あしくむかふから人がきたものですぐさま箸をはふりだして もう帰る といひだした。生きもののうちでは人間がいちばん嫌ひだつた。

次の手は伯母さんの誘いの巧さである。

蛤の佃煮はあの可愛い蛤貝が龍宮の乙姫様のまへを舌を出して這つてあるくといふことのために、また竹の子は孟宗の親孝行の話が面白いばつかりに好きであつた。むつくらした竹の子を洗へばもとのはうの節にそうて短い根と紫の疣いぼがならんでゐる。その皮を日にすかしてみると金いろのうぶ毛がはえて裏は象牙のやうに白く筋目がたつてゐる。大きなのは頭にかぶり、小さなのはけばをおとして梅干を包んでもらふ。暫く吸つてるうちに皮が紅色に染つてすつぱい汁が滲みだしてくる。はちくも好きであつた。土鍋でぐつぐつ煮ながらさもさもおいしさうな様子をして煮えくりかへる竹の子の味をきくのをみればさすがの蜂の王様も奥歯のへんに唾のわくのをおぼえた。ときどきあまえて自分で箸をとらないと伯母さんは彩色した小さな茶碗を口へあてがつて
「すずめごだ すずめごだ」
といひながら食べさせてくれる。鯛は見た目が美しく、頭に七つ道具のあるのも、恵比寿様が抱へてるのも嬉しい。眼玉がうまい。うはつらはぽくぽくしながらしんは柔靱でいくら噛んでも噛みきれない。吐きだすと半透明の玉がかちりと皿に落ちる。歯の白いのもよい。

このように伯母の愛情は食べることにしても日々主人公に惜しみなく降り注いだ。

どうだろう,別の見方をすると,「銀の匙」は江戸時代が色濃く残る東京の下町の育児書としても読めるのである。中勘助が生まれたのは明治18(1885)年日清日露戦争への道を邁進していく時代である。