中勘助7-夜歩く-

中勘助7-夜歩く-

星桜 405s
夜,星を見上げる

中勘助の「沼のほとり」は,雑誌「思想」に大正十一年七月から連載されました。時期的には話題になった問題作「犬」が「思想7号」に載ったその年のことです。
「沼のほとり」は,大正十年一月一日から始まる日記形式の作品です。形式にこだわらず素直に自由に書く日記形式は中勘助の得意としたところです。この沼というのは,中自身が大正9年から3年間に渡って移り住んだ千葉県我孫子の「手賀沼」のことを指しています。この時手賀沼は「北の鎌倉」と称されて,志賀直哉大正4年~),武者小路実篤(大正5年~),瀧井孝作大正11年~),杉村楚人冠大正12年~),嘉納治五郎とその甥の柳宗悦大正3年~)とそうそうたるメンバーが移り住んでいたのでした。しかし,中勘助の「沼のほとり」にはそうした文人墨客との交流の様子などは一切出てきません。一人で静かに暮らす毎日のことや自然観察のことが殆どです。「銀の匙」で見せたあの観察眼の鋭さが手賀沼の自然に対しても注がれます。何でもない随筆なのに何故か彼の文章に惹かれるのはそうした観察の力と一人自然に対している時の心の安らぎがつくる中の自然親和性から来ると思います。彼は自然の中で,そして野尻湖やこの手賀沼で安らぎを憶える「水辺の文学」の書き手そのものでした。

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雨に濡れた今朝の桜

さてここで手賀沼を題材に書いた作家達の作品中での使用語句を比較した論文があります。中勘助の書き方は自然に没入していると言える程様々な自然の要素を取り上げていることが分かります。これが中の秀でた観察力を示していると思います。見てみましょう。
手賀沼使用語彙
手賀沼にいた作家達の語彙検索

銀の匙」「島守」「沼のほとり」そして「沼のほとり」の中に所収された「孟宗の蔭」でも,独特な中の自然観は冴えています。その天候や景観や環境にするどく感応・同化できる感覚を備え持っているのが中勘助の描写の確かさを支えています。機会があればと思っていますが,特に鳥についての描写が多く(水辺にいるんだから当たり前と思わずに),鳥がかなり好きだったとも思わせます。特に分け隔てなく自然が好きだと思わせる文があります。見てみましょう。

つくえの上においた洋燈のまわりには螇蚚,あわふき,こくぞう虫,よこばい,羽蟻,かなぶんぶん,そのほか蟻や蜻蛉,ががんぼ,灰みたいな細かい虫が真っ黒に群がっている。・・・(かれらを)愛すべきものとして快く眺めている。「沼のほとり」八月九日の文



 今日は特に中勘助の書く夜の描写の魅力を紹介したいと思います。


ある夜。日が暮れるとは漁り歩く獣のように出て,森の中を逍(さまよ)ふ。一時あまり歩きまわって崖のはしへ出た。平野のかなたに紫に立ちこめた雲の中からいびつになった月がどす赤くのぼってくる。私はすこしの張りもないうつろな気もちをしてやや暫くそれを眺めていた。雨上がりの今夜は不思議と暖かくて空にはもかもかした雲がひくくとんでゆく。星ばかりが静に冷に群(むらがっ)ている。
                                                   「孟宗の蔭」大正3年2月2日終わりから引用


実に巧みな夜の描写です。ちなみに勘助は夜このように怖くもなく彷徨い歩いていたようです。特に真っ暗な森の中に入ると安心するという気持ちを何処かで書いています。夜の森の中などは漆黒の闇で普通の人は怖いと感じると思いますが,逆に中にとっては暗闇が落ち着くようです。

夜。雨。島のまわりを一本足のものが跳んであるく音がする。なに鳥か闇のなかをひゅうひゅう飛びまわる。雨の音はなにがなしものなつかしい、恋人の霊のすぎゆく衣きぬずれの音のように。
「島守」から

次に同じ「島守」から鴨が渡ってきた時の様子です。

夜。どん栗と杉の葉をならべて日記をつけてるとき南の浦にばさばさと水を打つ音がして鳥の群がおりたらしかった。月は遠じろく湖水を照しながらこの島へは森に遮られてわずかにきれぎれの光を投げるばかりである。大木の幹がすくすくと立って月の夜は闇よりも凄すさまじい。



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雨に煙る

私は「特集 夜の写真闇の文学」で作家達の夜の描写を取り上げたことがあったが,夜の描写の達人としてやはり中勘助の感性を見逃すわけにはいかない。そして,夜をこのように公平に親和的に見ることができる彼の感覚の鋭さは詩人の名に恥じない筆力でこの世にもたらされたことを素直に喜びたい。