穂村弘「おろおろ」『シンジケート』

穂村弘「おろおろシンジケート」

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穂村弘のデビュー作「シンジケート」(1990)を読んだ
「おろおろ」が面白かった
確かに濃いカルピスは喉につかえる
咳払いすると繊維状になった「おろおろ」が出てくる
主人公は「おろおろ」を知っている女だからこそ付き合うことにする
こうした独特な感覚の共感を伴う者が仲間
つまりシンジケートなのだ
名付けて「おろおろシンジケート」だ

穂村弘の短歌を読んでいると
まるで現代版「銀の匙」を読んでいるような気分にもなる
どこか成熟していない子どもの感覚を集めたような
稚拙なる驚異の断層を見せつける
彼の作品は,読む者をまるでビー玉遊びに誘っているようだ
彼のビー玉遊びの作戦はどこまでも慎み深くやさしい
あくまでビー玉を真正面からコンと深みのある消えない音を立てて勝つなんてことは問題外だ
そんな正攻法で勝ったら相手のプライドはずたずただ
こちらから誘った遊びなのに相手を傷つけることなんか死んでもできるもんじゃない
だから敢えてかすかにこすれ合うような,カスッという当て方をしてどこまでもまぐれ感を出す
こうやって勝てば,相手をへこませ,自負心をなくさせたりすることもない
「あっ。かすっちゃった」と言って,いかにもまぐれだったように勝つのである
どこまでも相手のプライドを傷つけずに生きていくのが彼の礼儀なのだ
穂村弘の視点はこんなことにある

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このビー玉遊びの例え話はけっして寓話でもなんでもない
ビー玉は言葉でもある
ビー玉同士のかすかにこすれ合う音が終わることもない残響となっていく
それは言葉そのもののこすれ合いでもある
わたしと世界という
君とぼくという
ビー玉同士がこすれ合う時
ひそやかなこの世界に火花のような出会いの音が立つ
その音が木魂して五七五七七という言葉の順列として立ち上がってくる
僕たちは「おろおろシンジケート」だ