近松世話物-女殺油地獄などに見える神仏観-

 

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皆さんは,近松門左衛門の作品ではどれが好きですか。
今回読み直してみて,私は「女殺油地獄」のリアルさに心震えました。以前はただ冗長と感じたものでしたが,よく味わって読むと「女殺油地獄」は実に傑出した作品だと思いました。
今回はそのストーリーよりは書き込まれている神仏関係の内容に着目して当時江戸中期の庶民の神仏信仰について書いてみます。
ご存じのように近松の主要作品は年代順に『曽根崎心中』(1703年)『冥途の飛脚』(1711年)『国性爺合戦』(1715年)『心中天網島』(1720年)『女殺油地獄』(1721年)となっています。『曽根崎心中』では序に観音巡りがあり,「まず一番に天満の大融寺から回り出す」と始まり,馬喰達の稲荷神まで三十三観音を数え唱えます。そして本筋に入り徳兵衛とお初が登場します。そして徳兵衛がご無沙汰したのは忙しく,「盆と正月と十夜のお祓い」ととんでもない忙しさを誇張する。金を貸した九平次から二貫目の金を回収しなければ自分が破産する。その九平次は中塩町の伊勢講から帰ってきたところだ。ところが当の九平次は徳兵衛お前なんぞからびた一文も借金などしていないと白を切ります。証文を見せても印鑑が盗まれたと借りた金をちゃらにしようとするわけです。そして「此の世の名残なごり。夜も名残なごり。死に行く身を譬たとふれば。 あだしが原の道の霜。一足づゝに消えて行く。夢の夢こそ あはれなれ。
 あれ数かぞふれば暁あかつきの。七つの時が六つなりて残る一つが今生こんじやうの。鐘の響ひゞきの聞納きゝおさめ。 太夫寂滅為楽と響ひゞくなり。」という名文句へとクライマックスの階段を駆け上がっていきます。
最後の一文「徳兵衛とお初こそまさに,来世でも仏になること疑いのない,恋の手本である。」と締めくくります。

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一方,『女殺油地獄』は享保六年(1721)四月八日の野崎観音参りから始まります。
つまり観音信仰が行き届いている世の中での出来事としているわけです。そして約1ヶ月すると男達は山上講という大峰山修行観光のような行事へと進みます。町民達は何かにつけて日常で「南無阿弥陀仏」や「般若心経」の「ぎゃーてい」や「オンアビラウンケンソワカ」をまじないのように唱えるのです。そしてこれまた日常で困ったことがあると大峰山の人気山伏「白稲荷法印」が呼ばれてご祈祷願うわけです。しかしこの山伏はあまりにも単純です。
熱の下がらない十五のお勝に「病みつきはいつじゃ」「先月の十二日から」
十二は薬師如来の当たり日縁日で,十五は阿弥陀如来の縁日じゃ。「わかった。『法蔵比丘』という説教浄瑠璃じゃ。」と理由を付けて面白おかしく口上を述べ,三十両を要求します。近松のストーリーにはこうした庶民の日常の神仏との関わりや道徳性が組み込まれています。
与兵衛によって殺されたお吉の三七日(さんしちにち)の日。「豊島屋の場」はこう始まります。浄土真宗の方式です。
--変成男子の願を立て,女人成仏誓いたり。願以此功徳,平等施一切,同発菩提心,往生安楽国。釈妙意,三十五日,お逮夜の心ざし。--親鸞の『正信偈』です。
「変成男子の願を立て,女人成仏誓いたり。」という文章の意味は,当時女人は成仏できない。成仏するためには女からまず男子になる性転換の儀式を経て,男子となり,その上で成仏するという「法華経」の変成男子の考え方からきているのでしょう。

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曽根崎心中』(1703年)『心中天網島』(1720年)『女殺油地獄』(1721年)を見てきましたが、どれほど庶民の生活や心が神仏の近くにあったのかがよく分かります。近松浄瑠璃が道徳的で教導的な背景をもっていたのは心中物があまりにセンセーション過ぎたからなのでしょうか。
曽根崎心中のラストで近松は「徳兵衛とお初こそまさに,来世でも仏になること疑いのない,恋の手本である。」と締めくくります。もし観音がこの世に変化(へんげ)して現れるのであれば心中した二人こそまさに観音様の近くにいるべき者であるという,庶民の考え方も窺い知ることができます。