さくらの部屋2022-昇る天の川-
桜の部屋2022-昇り始める天の川-
昇り始める天の川
今年は花の盛りと月の出がシンクロしていて,夜空に月の懸かる夜が多かったように感じました
ですから天の川が出る深夜は月の光で天の川が薄くなってしまいます
今年の桜で天の川とからめる写真はこれが初めてです
天の川と桜を組み合わせるのはいよいよこれからという所ですが,残念ながら桜は散り始めています
しかし今年はしみじみ春の星座を見送りながら,撮影できました
撮影は赤道儀を使いますが,スピードは星の動きに合わせます。普通「スターランドスケープ」といういわゆる星景モードは星の動きにくらべ0.7倍くらいのスピードです。3分も露出するともう星が流れてしまいますから「スターモード」に合わせます。いろいろな露出と時間と感度等の工夫ができますが,昨夜などはかなり薄い雲がかかりその日によって設定はかなり違ってきます。いろいろ試して撮っているとあっという間に3時近くになり,薄明が始まります。仕方なく三脚を担いで車に戻ります。
橋の桜
例年ですとソメイヨシノ,エドヒガンが終わってさあ八重桜という順番ですが,今年は一斉に咲いた感があって一気に始まり一気に終わったという感じがしています。満開になってから5日間で散り始めました。これからは桜前線を追いかけて北へと向かいたいのですが,どれくらい撮れるか,難しいです。
さくらの部屋2022-月の出の前に-
月の出に桜の樹の下で会おう
こんな約束をいつかはしてみたいと思っていた
月の出の時刻に合わせる生活など
今の時代には誰もしなくなってしまった
しかし,今夜も月は出る
今夜会えなければ50分遅れで明日
また50分遅れてあさって
待つ時間は長くなる
それでも待っているよ
山の端がぼんやりと橙色に灯ってきた
月が出る
ふくろうの鳴く静かな夜
以前この桜をやはり夜撮影していた時私の横をカモシカが全速力で駆け抜けて行きました。真っ暗ですから見ることはできませんでしたが,走っている時の堅いひづめの音や黒い塊の大きさなどからカモシカだと直感しました。以前に近くの藪の中でカモシカに会っていたので「あのカモシカだな」とつながったのです。それにしてももしぶつかっていたら一瞬で私は死んでいたでしょう。それくらいの速さと量感だったのです。
この写真は東日本大震災から一か月と2週間経った2011年4月29日の桜です。まるで多くの魂が空に昇っていくように仕上げました。この桜の向こうの天の川の空はちょうど南三陸町なのです。この日,南三陸町では合同慰霊祭が行われていました。忘れられない写真の一枚です。この桜に出会って二十年程は経っています。いろんなことがありました。
ふくろうの鳴く声が夜の深さを感じさせます。
この夜はカモシカには会いませんでしたが,朝にアナグマに2回も会いました。アナグマはかなり目が悪いようで私にぶつかってきたのです。そして私の長靴の匂いを嗅いであわてて逃げていきました。
道路の側溝に逃げ込んだアナグマ
さくらの部屋2022その2-変化を見届ける-
さくらの部屋2022-その2-
朝日に染まる 今朝4月19日
美しく咲いた谷間の一本桜
いつも咲き始めの時には私自身が焦り,戸惑う
待っていたものがやっと訪れたという喜びに
ただ震えるままに逢いに行き,向かい合う
朝も夕も夜もひたすら桜と向かい合う
そして少しずつ桜に近くなっていく
八百年以上咲いているこの桜にくらべれば
私の思いははせいぜいたった17年だけの付き合いだ
パノラマ
桜の日々の変化を見届けてあげること
きれいな景色に満足してはいけない
本当に満足したいなら,桜の満足に近づかないといけない
パノラマ 今朝4月19日
同時に桜の生きてきた環境すべてに目を配る
いつか桜の声を聴きたい
さくらの部屋2022
昨晩4月16日
今日は文学から少し離れて,桜の写真を載せます。ご了承下さい。
私にとって写真と文学はシンクロしています。
桜を撮りに行く
でも上手く撮れない
そこで考え直してみた
私は桜の何を撮りたいのだろう
今年の桜の特徴はなんだろう
お前はこの桜をもう15年以上も見続けている
分からないはずはない
さて,月夜である
この月はどう撮ったらいいのか
桜とどうバランスを取るのか
すごく基本的なところに戻ってみる
昨晩4月16日
小賢しいことを考えているから
撮影そのものに集中できないでいるんだ
今ここで,この氷点下の気温で,この湿度で,咲いている花たちが月齢14の月光に晒されている
この光を桜とともに今浴びている
ここからだ
撮り続けるしかない
中勘助7-夜歩く-
中勘助7-夜歩く-
夜,星を見上げる
中勘助の「沼のほとり」は,雑誌「思想」に大正十一年七月から連載されました。時期的には話題になった問題作「犬」が「思想7号」に載ったその年のことです。
「沼のほとり」は,大正十年一月一日から始まる日記形式の作品です。形式にこだわらず素直に自由に書く日記形式は中勘助の得意としたところです。この沼というのは,中自身が大正9年から3年間に渡って移り住んだ千葉県我孫子の「手賀沼」のことを指しています。この時手賀沼は「北の鎌倉」と称されて,志賀直哉(大正4年~),武者小路実篤(大正5年~),瀧井孝作(大正11年~),杉村楚人冠(大正12年~),嘉納治五郎とその甥の柳宗悦(大正3年~)とそうそうたるメンバーが移り住んでいたのでした。しかし,中勘助の「沼のほとり」にはそうした文人墨客との交流の様子などは一切出てきません。一人で静かに暮らす毎日のことや自然観察のことが殆どです。「銀の匙」で見せたあの観察眼の鋭さが手賀沼の自然に対しても注がれます。何でもない随筆なのに何故か彼の文章に惹かれるのはそうした観察の力と一人自然に対している時の心の安らぎがつくる中の自然親和性から来ると思います。彼は自然の中で,そして野尻湖やこの手賀沼で安らぎを憶える「水辺の文学」の書き手そのものでした。
雨に濡れた今朝の桜
さてここで手賀沼を題材に書いた作家達の作品中での使用語句を比較した論文があります。中勘助の書き方は自然に没入していると言える程様々な自然の要素を取り上げていることが分かります。これが中の秀でた観察力を示していると思います。見てみましょう。
手賀沼にいた作家達の語彙検索
「銀の匙」「島守」「沼のほとり」そして「沼のほとり」の中に所収された「孟宗の蔭」でも,独特な中の自然観は冴えています。その天候や景観や環境にするどく感応・同化できる感覚を備え持っているのが中勘助の描写の確かさを支えています。機会があればと思っていますが,特に鳥についての描写が多く(水辺にいるんだから当たり前と思わずに),鳥がかなり好きだったとも思わせます。特に分け隔てなく自然が好きだと思わせる文があります。見てみましょう。
つくえの上においた洋燈のまわりには螇蚚,あわふき,こくぞう虫,よこばい,羽蟻,かなぶんぶん,そのほか蟻や蜻蛉,ががんぼ,灰みたいな細かい虫が真っ黒に群がっている。・・・(かれらを)愛すべきものとして快く眺めている。「沼のほとり」八月九日の文
今日は特に中勘助の書く夜の描写の魅力を紹介したいと思います。
ある夜。日が暮れるとは漁り歩く獣のように出て,森の中を逍(さまよ)ふ。一時あまり歩きまわって崖のはしへ出た。平野のかなたに紫に立ちこめた雲の中からいびつになった月がどす赤くのぼってくる。私はすこしの張りもないうつろな気もちをしてやや暫くそれを眺めていた。雨上がりの今夜は不思議と暖かくて空にはもかもかした雲がひくくとんでゆく。星ばかりが静に冷に群(むらがっ)ている。
「孟宗の蔭」大正3年2月2日終わりから引用
実に巧みな夜の描写です。ちなみに勘助は夜このように怖くもなく彷徨い歩いていたようです。特に真っ暗な森の中に入ると安心するという気持ちを何処かで書いています。夜の森の中などは漆黒の闇で普通の人は怖いと感じると思いますが,逆に中にとっては暗闇が落ち着くようです。
夜。雨。島のまわりを一本足のものが跳んであるく音がする。なに鳥か闇のなかをひゅうひゅう飛びまわる。雨の音はなにがなしものなつかしい、恋人の霊のすぎゆく衣きぬずれの音のように。
「島守」から
次に同じ「島守」から鴨が渡ってきた時の様子です。
夜。どん栗と杉の葉をならべて日記をつけてるとき南の浦にばさばさと水を打つ音がして鳥の群がおりたらしかった。月は遠じろく湖水を照しながらこの島へは森に遮られてわずかにきれぎれの光を投げるばかりである。大木の幹がすくすくと立って月の夜は闇よりも凄すさまじい。
雨に煙る
私は「特集 夜の写真闇の文学」で作家達の夜の描写を取り上げたことがあったが,夜の描写の達人としてやはり中勘助の感性を見逃すわけにはいかない。そして,夜をこのように公平に親和的に見ることができる彼の感覚の鋭さは詩人の名に恥じない筆力でこの世にもたらされたことを素直に喜びたい。
中勘助6「鳥の物語」
中勘助6-鳥の物語-
カタクリ咲く4月11日
何と言う暑さでしょうか。今日で4日目です。この暑さは例年ですと5月下旬の頃に感じているものですが・・・。4月の7日夜になんと珍しいハクチョウの鳴き交わす声が北へ遠ざかって行きました。一週間遅れの北帰行でした。遅れ気味なミズバショウやカタクリも咲く季節だと思っていたら,いきなりのこの暑さです。
桜が11日に咲く始めたと思ったら2日目の今日はほぼ満開です。ものすごいスタートダッシュです。
沼はお花見の絶好の季節で,岸近くではフナやコイがバシャバシャと水をはね返して産卵の時期に入っています。
さて中勘助の6回目は「鳥の物語」です。
この作品は昭和八年の「雁の話」以来,最終話の昭和三十八年の「雉子の話」までなんと三十年の月日が費やされました。しかし三十年の年月をかけた分だけあって一話一話が完結しており,質が高いです。この「鳥の物語」という作品は私がお気に入りの作品集です。意外と読まれてはいませんが,傑作です。実に人と鳥が近しい存在で語られ,それぞれの鳥の格式高い性格や特徴が的確に出るように仕組まれています。中勘助自身を知る上でも一番のお勧めでしょう。この「鳥の物語」は全12種の鳥を扱っています。その執筆順を確かめてみましょう。
カタクリ咲く4月11日
これが「鳥の物語」に出てくる作品順です。脱稿年月と載った雑誌も入れてみます。
雁の話 昭和8年6月 「思想」133号
鳩の話 昭和16年10月「「鳩の話」「氷を割る」を収録して岩波書店」
鶴の話 昭和23年2月 山根書店
ひばりの話 昭和21年6月 「フレンド(幼年雑誌)」
鶯の話 昭和21年8月(初出は「鶯とほととぎすの話」)世界8号
(ここで5編をまとめて昭和24年5月に「鳥の物語」として山根書店より出しています)
白鳥の話 昭和24年9月文藝6-9
いかるの話 昭和24年9月女性線4-9
鷹の話 昭和28年6月心6-6.7
鵜の話 昭和29年7月婦人公論39-7
鷲の話 昭和29年8月心7-8
雉子の話 昭和38年6月心16-6
かささぎの話 昭和38年5月心16-5
(雑誌「心」は同人誌で,昭和23年7月に創刊,安倍能成、武者小路実篤、辰野隆、長與善郎、佐藤春夫などが中心となっている。発行元も度々変わっていて,昭和32年からは平凡社。最終は昭和56年7・8合併号。あの串田孫一が1970年代から編集をしていました)
ほぼ執筆年代順ですが,「鶴の話」をぐっと前に出してきました。また「雉子の話」「かささぎの話」を前後入れ替えをして収めています。全十二話完結に30年の月日をかけた「鳥の物語」ですが,案外感触も良く,読者からはぜひ続きをという声が高かったのではないかと思われます。
伊豆沼のセイタカシギ4月9日
中勘助の「鳥の物語」では何が好きかと言われそうですが,やっぱり「雁の話」ですかね。
この話は漢の武帝が匈奴の土地に蘇武を使いとして送るが,蘇武は匈奴に幽閉されてしまいます。ある秋,南へ渡る雁を見上げて蘇武は雁の足に手紙を付けて飛ばします。その手紙を持った雁はやがて漢王の元に降りてきます。19年の幽閉を解かれ,蘇武は帰郷を果たします。
勘助の話もその蘇武の逸話を題材に蘇武と人に慣れることのない雁という鳥の孤高の姿を描きます。
「漢書」では蘇武は匈奴の国に使者として派遣されるが,日本では匈奴と戦う将軍という設定もあるそうだ。また肝心の雁が実際に手紙を運んだという設定と蘇武の解放を試みる使者が機転を利かせて創作したフィクションとも伝わる話もあるようです。
伊豆沼は十万単位の雁の越冬地となっています。
雁のいる風景では例えば「雁風呂」や「雁の草子」などの話で鳥と人との関係が語られ続けています。特に雁と人との関係は古代から美しい話になっています。
桜スタートダッシュ 今朝4月13日
最近京都大学白眉センター特定助教 鈴木俊貴氏のシジュウカラの鳴き声の分析をラジオで聴きました。
素晴らしいです。現代の「聴耳頭巾」です。