芥川龍之介のこと5-宮城県青根温泉逗留一か月-

芥川龍之介のこと5

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さんぽ道春の兆し 枝先に留まる光の量が多くなってきた 今朝2月4日撮影

先回は28歳の芥川龍之介大正9年8月まるまる宮城の青根温泉に避暑に来ていたこと。その青根温泉では「お律と子等」を苦しみながら執筆していたこと。その苦しみは彼の表現の課題であるとも言える。芥川自身イメージしたものが文章に現れ出てこないことに苦しんでいた。だから未完や一応脱稿はしたが後で書き直すために単行本に入れていない作品も見受けられる。今日はむりやりまとめた先回の茂吉との言葉の質について改めて考えてみたい。
芥川自身も長く短歌をたしなんできていたが何と言っても茂吉の作品の質には多大なる敬意を払っていた。もともと和歌も三十一文字の芸術だが,そこに「写生」という徹底的に対象を見詰め,観察する土台が必要になる。とにかくも誰もが納得する茂吉の代表作を読んでみたい。


あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり(大正2年
ついでに茂吉の他の有名な作品も並べてみる。
ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも(大正3年
白き華しろくかがやき赤き華赤き光を放ちゐるところ(明治39年
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり(大正2年
ひた走るわが道暗ししんしんと怺へかねたるわが道くらし(大正2年


こうした茂吉の歌の重みは14歳までいた山形という土地の気候風土と百姓の家に生まれた東北人の血,つまり東北人の背負っている厳しい自然とその土地に生きる覚悟にあるのではないかと私は書いた。どうしようもなく厳しい自然にいつも投げ出されてしまっている百姓の持つ言葉を茂吉は持っているのだ。茂吉の短歌創作を支えている言葉の密度はこうした過酷な自然の中に投げ出されている人間の切実さから来るのではないだろうか。そうした切実な構えを茂吉は「写生」と言ったと思う。自然を観察し,対象を見詰め,その対象と一体化するほどの没入が言葉の密度をつくる。まるで西田幾多郎の言う「純粋経験」の境地である。短歌も長くつくってきた芥川にとっては茂吉のような言葉の密度を持つことを強く望んでいたと思う。

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蕪栗沼にて

ではこの「写生」という行為を考えてみたい。
ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも(大正3年

秋深くして寒々とした雪を迎える前の枯れ色の畑に残る作物は緑深い葉をした大根である。夕方の色濃くなり更に寂しく暗くするのは冷たい時雨である。今鮮やかな色は何もなく,モノトーンの大根の緑の葉である。そこに時雨の冷たい雨が降り注ぐ。唯一の緑を冷たい雨が叩く。その音が重く聞こえてきそうだ。暮色濃い雨がモノトーンの寒々しい土地を叩き続ける。もう足下にさえ黒々と夕闇が押し寄せている。この夕暮れはこれから始まるどんよりとした日本海側の長い冬を告げているようだ。この写生はむしろ山形の気候風土をそのまま象徴している風景と化している。もちろん鑑賞する私たちには秋深い夕方の大根畑に降る時雨でしかない。しかし夕闇に沈む風景の暗さの階層が絶妙に描き出されるように設定してある。これが茂吉の「写生」の醍醐味だと思う。自分の感情を伝える言葉は「いたく寂しく」だけである。この「いたく」は掛詞でしょう。「とても」とか「大変」という意味と心が「痛い」という二重の意味を持たせています。しかし,この風景の隅々にまで感情が染み渡っている。つまりこれが対象と一体となっているということである。まるで映画のワンシーンとなっている。
冷たい時雨が降りしきり,ちっぽけな投げ出された茂吉の感情と自然が分離不可能になるまで溶け合っている。カメラが上がり,畑の中にうなだれている茂吉の背中から周囲の畑が広々としてやがて大地を埋め尽くしていく。そして溶暗。

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朝のライン 昨日2月3日撮影 蕪栗沼

この観察者と対象となる自然との融合はむしろ東北では自然の中に投げ出されているちっぽけな人間という枠で描かれる。写生とは世界を観察する果てに呑み込まれていく姿でもある。
ここに藤沢周平という茂吉と同じ山形出身の作家から,茂吉の「写生」を体現させた表現を紹介することができる。藤沢周平「橋ものがたり」から冒頭の「約束」からである。


しかし,五年前の約束だ。お蝶がおぼえているとは限らないのだ。
 幸助が,ふいにそう思ったのは,川を照らしていた日射しが輝きを失い,西に傾いた日が雲とも靄ともつかない,ぶ厚く濁ったものの中に入り込んで,赤茶けた色で空にぶらさがっているのを見たときだった。
 まだ,お蝶は来ない。
水は絶え間なく音を立て,月の光を弾いている。日が沈むと,あたりは一度,とっぷりと闇に包まれたが,まもなく気味が悪いほど,大きい月が空にのぼった。その月の光が,幸助をもう少し待ってみる気にさせたのである。

すると,戸が向こうから開いて,なだれこむ朝の光の中に長身の男が立っていた。(中略)狭い土間に躍るように 日の光が流れ込んでくるのを眺めながら,幸助は,ここに来たのはまちがっていなかった,と思った。


自然描写と人間の感情が見事にシンクロして,融合不離となっている。むしろしゃべり言葉だけに頼る表現よりも自然の中に感情を落とし込んでいくこのような表現がどれほど豊かな世界を生んでいるか。

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林のへり

芥川はこのような自然描写と人間の感情が融合不離になった文体を茂吉の作品に見ていたと思う。
芥川は締切りに追われる。それでも書く。