芥川龍之介のこと6-上海-

芥川龍之介のこと6-上海-

DSC_3926-7s.jpg
伊豆沼立春夜景 2月4日

2019年の大晦日に録画してから観るのを忘れていた芥川龍之介を描いたドラマ『ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜』をやっと観た。芥川龍之介松田龍平が演じている。渡辺あやの作品である。演出は大河ドラマやドラマ「坂の上の雲」などを手がけている加藤拓。渡辺あやはテレビドラマ『火の魚』『その街のこども』『カーネーション』『ロング・グッドバイ』等。映画では『ジョゼと虎と魚たち』『天然コケッコー』『合葬』等を手がけている。1920年代の上海の様子を豪華なセットや濃密な映像で再現し、なかなかよかった。特に中国特派員時の芥川を取り上げた視点はなかなか珍しいとも思った。
 ドラマは上海に着いた芥川をまず「アグニの神」(赤い鳥に大正10年1月号に掲載)と「上海游記」の到着当時の出来事を折り合わせながら進んで行く。「アグニの神」はインドのヒンドゥー教の火の神であり上海に住む魔法使いの老婆が信奉している神のことである。この老婆は掠った少女を口寄せとして使う謎の占い師である。ただ「アグニの神」(大正9年12月)は中国に行く前に上海を舞台として書かれている点に注目したい。また「南京の基督」も脱稿は大正9年6月で、青根温泉に行く1ヶ月前です。こうした中国題材を経て中国視察の機会が整ってきたのでしょう。
 ドラマの中に玉蘭という夫が処刑された薄幸の美人が出てきます。玉蘭は処刑された夫の血の池にクッキーを浸らせ、その黒くなったクッキーを食べます。同様に京劇の役者美男子のルールー(この役どころは梅蘭芳メイランファンのことだろうか)も死んでしまいます。すると玉蘭はまた、ルールーの血のクッキーをつくります。少し不気味なこの風習は葬送の儀式としての意味が中国にはあるのでしょうか。
 実際にそうした芥川龍之介に中国視察の機会が訪れたのは、大正10年2月22日で29歳になろうとしていた時でした(芥川の誕生日は3月1日)大阪毎日新聞の特使という身分でした。翌月の3月出発で3~4か月の滞在という条件でした。芥川は上海に着くなりすぐ入院してまるまる1ヶ月も上海に滞在し、ゆっくりと上海の空気を吸いました。
ここで年譜から芥川の中国滞在の4か月間をメモしてみました。


3月19日(土)午後5時30分 東京駅発の汽車に乗って中国へ出発
3月20日~26日 熱のため大阪で静養
3月27日(日)  大阪を出て門司
3月28日(月)門司港から筑後丸に乗って上海へ
3月30日(水)午後上海港に到着万歳館泊
4月1日~23日 上海里見病院に入院
4月26日 後の満州国総理の鄭考胥(ていこうしょ)や革命派の文人章炳麟(しょうへいりん)と会談
5月2日 上海を出発。杭州へ西湖見物
5月9日 蘇州
5月12日 蘇州から揚州へ
5月19日 蕪湖(ウーフー)
5月22日 九江着
5月23日 廬山に登る
5月26日 漢口着
6月11日 洛陽を経て北京着1ヶ月滞在
7月10日 天津着
7月17日 奉天経由釜山から門司へ帰国


この旅行記は大阪毎日新聞に8月17日~9月12日に「上海游記」と題して連載。翌年大正11年1月1日から2月13日まで「江南游記」連載。

DSC_3930-7トト2
伊豆沼立春夜景 2月4日

 さて当時の上海は「魔都」と呼ばれ、世界の国々から集まった人々でごった返していました。そして様々な世界の文化がひと所に咲き乱れていました。上海租界です。そんな世界の先端を行く上海を私が初めて知ったのはアンドレマルロー「人間の条件」を読んだときでした。そして後に横光利一「上海」を読み、今回芥川龍之介も行ったことを考えると、まず日露戦争で大手を振った日本人が上海に満ち、文人達も上海を目指しました。まずは1918年谷崎潤一郎が訪れてすっかり上海が好きになり8年後にまた行っています。多分芥川は、谷崎から上海の話は随分と聞かされていたでしょう。自分にも上海の番が回ってきたと喜んだと思います。そして帰国後の芥川の話に触発されたのが横光利一です。横光は1928年に1ヵ月間上海に滞在して「上海」を書きます。それと前後して金子光晴の「どくろ杯」。彼は1926、27、28年に上海に数ヵ月間滞在しています。そして「上海にて」の堀田善衛、彼自身は終戦を上海で迎えています。

さてさて長くなりましたが、芥川自身が中国の美女揃いを紹介されて言った言葉が実に気に入りました。「上海遊記」からです。


余洵氏は老酒を勧めながら、言い憎そうに私の名(芥川のこと)を呼んだ。
「どうです、支那の女は? 好きですか?」
「何処の女も好きですが、支那の女も綺麗ですね。」
「何処が好いと思いますか?」
「そうですね。一番美しいのは耳かと思います。」
 実際私は支那人の耳に、少からず敬意を払っていた。日本の女は其処に来ると、到底支那人の敵ではない。日本人の耳は平すぎる上に、肉の厚いのが沢山ある。中には耳と呼ぶよりも、如何なる因果か顔に生えた、木の子のようなのも少くない。按あんずるにこれは、深海の魚が、盲目になったのと同じ事である。日本人の耳は昔から、油を塗った鬢びんの後に、ずっと姿を隠して来た。が、支那の女の耳は、何時も春風に吹かれて来たばかりか、御丁寧にも宝石を嵌めた耳環なぞさえぶら下げている。その為に日本の女の耳は、今日のように堕落したが、支那のは自然と手入れの届いた、美しい耳になったらしい。


第一に耳の美しさを選び、線を引いた「支那の女の耳は、何時も春風に吹かれて来たばかりか」という表現は実にキュートで可愛らしい表現です。