芥川龍之介のこと3-「赤い鳥」-

芥川龍之介のこと3-「赤い鳥」-

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戻ってきた光 昨日2月11日

今日は「赤い鳥」に載せた芥川龍之介の5作品のことを取り上げましょう
芥川は「赤い鳥」という雑誌の趣旨を考えながら書いていたのかどうかと問うてみます。
まず芥川が「赤い鳥」に寄稿した5作品です。


蜘蛛の糸  大 正 7 (1918) 年 7 月
犬と笛    大 正 8(1919) 年 1 月
犬と笛    大正8(1919) 年特別号
魔術     大 正 9(1920) 年 1 月
杜子春    大 正 9(1920) 年 7 月
アグニの神  大 正 10(1921) 年 1 月
アグニの神   大 正 10(1921) 年 2 月


蜘蛛の糸」から始まるというのは刺激的ですね。そして「犬と笛」「魔術」「杜子春」「アグニの神」と続きます。見ていくと芥川は年2回,1月号と7月号に寄稿すると割り当てられていたようにも思えます。最初からこういう契約だったのでしょうか。
さてここで芥川がこれらの作品をいつ脱稿したかを知るために脱稿した日付を付けてみましょう。すると「赤い鳥」の締切りに合わせて書いていたか,それとも以前に書いてあった作品群から「赤い鳥」の締切りに合わせて選んだのかが分かります。


蜘蛛の糸 大 正 7 (1918) 年 7 月   (大正七年四月十六日脱稿)
犬と笛 大 正 8(1919) 年 1 月 (大正七年十二月脱稿)
犬と笛 大正8(1919) 年特別号 (大正七年十二月脱稿)
魔術 大 正 9(1920) 年 1 月 (大正八年11月脱稿)
杜子春 大 正 9(1920) 年 7 月  (大正九年六月脱稿)
アグニの神 大 正 10(1921) 年 1 月 (大正九年十二月脱稿)
アグニの神 大 正 10(1921) 年 2 月 (大正九年十二月脱稿)


これを見ると書きためておいた作品の中から選んだというよりは書き直したり,仕上げたりすることも考え,締切りに合わせて脱稿しているようです。ということは芥川は「赤い鳥」に掲載するためのこれらの作品を構想していたのかもしれません。ただ蜘蛛の糸だけは割合先に仕上がっていたようです。

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朝の漁 今朝2月12日

ここで「赤い鳥」に掲載された作品群は芥川の「赤い鳥」に寄せるための意図を持っていたならば雑誌「赤い鳥」の刊行趣旨をわきまえた上での題材選定や内容執筆だったのか。
その意図を探るために「赤い鳥」執筆期間内に脱稿した作品群を年代順に挙げてみます。


大正七年
蜘蛛の糸 大 正 7 (1918) 年 7 月  大正七年四月十六日 「鼻」刊行
8月 「奉教人の死
9月 「枯野抄」
10月 「邪宗門」起筆3日間で5回分脱稿新年号執筆依頼7件5件断わる
11月 スペイン風邪に罹る
12月 「毛利先生」を脱稿「あの頃の自分の事」脱稿
大正八年
犬と笛大 正 8(1919) 年 1 月   大正七年十二月
犬と笛大正8(1919) 年特別号
2月 スペイン風邪に罹る  「改造」発刊記念会
3月
4月 「蜜柑」「きりしとほろ上人伝」脱稿
5月 連載「路上」にかかる
6月 「大正八年六月の文壇」脱稿「羅生門」刊行「疑惑」脱稿小説の読み方講演
7月 路上進まず「改造」への原稿断念
8月 路上断念「じゅりあの・吉助」
9月 「妖婆続編」
10月 「大正八年度の文芸界」「江口かん氏の事」「芸術その他」
11月 「魔術」脱稿
12月 「有島生馬君に与ふ」「鼠小僧次郎吉」「葱」
大正九年
魔術 4 1 大 正 9(1920) 年 1 月    大正8年11月10日「影燈籠」刊行
2月
3月 「秋」「スサノオノ尊」の執筆に苦しむ「黒衣聖母」
4月 「或敵打の話」
5月
6月 「南京の基督
杜子春大 正 9(1920) 年 7 月   大正九年六月 「影」「西洋画のような日本画」「捨児」
8月 宮城県青根温泉
9月
10月 「お律と子等」脱稿
11月
12月 「秋山図」「アグニの神」脱稿
大正十年
アグニの神 大 正 10(1921) 年 1 月大正九年十二月
アグニの神大 正 10(1921) 年 2 月
これらの作品群を比較すれば芥川の「赤い鳥」へ向けられた姿勢・構えが見えてくると思います。私などは「蜘蛛の糸」「杜子春」「犬と笛」は分かりやすく趣旨を汲み取った作品だと感じます。しかし同時に「魔術」「アグニの神」などはむしろ奇譚が好きな芥川ならではの題材の選定だと感じました。この辺りはもう少し詳しく分析する必要があろうかと感じています。

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朝の漁 今朝2月12日

ちょっと不思議だったことをお話しします。
年譜を見ても「犬と笛」だけがいつ脱稿したのか。
そして単行本になった多くの作品集の何処にも「犬と笛」は一度も収録されていないのです。こんな不思議なことがありましょうか。現代の作品集には掲載されてはいますが,当時は全く芥川が「犬と笛」を封じていたということになります。これは何故なのでしょうか。このことについても詳しく調べてみる必要があると感じます。

途中で中途半端になりましたが今日はここで一応区切りとします。

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差し込む光の春