芥川龍之介のこと-「翻案小説」-

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雪の朝

芥川龍之介の作品の出所を辿っていくと「鼻」「羅生門」は「今昔物語」から,「酒虫」は「聊斎志異」から,「杜子春」は「太平広記」か「新釈漢文大系」から,と古い時代の埋もれた良い話を再話するような形で自分なりの工夫を凝らして作品に仕立てていることに気付くでしょう。ある論文に芥川龍之介の諸作品の典拠が調べてありました。紹介します。


「酒虫」 1916年「新思潮」 蒲松齢『聊斎志異』巻十四「酒虫」
「仙人」 1916年「新思潮」 蒲松齢『聊斎志異』巻二「鼠戲」、 巻十四「雨銭」
「黄粱夢」 1917年「中央文学」 沈既済『枕中記』
「英雄の器」 1917年「人文」 『通俗漢楚軍談』26巻十二
「首が落ちた話」 1918年「新潮」 蒲松齢『聊斎志異』巻三「諸城某甲」
「尾生の信」 1920年「中央文学」 『荘子』「盗跖篇」、『史記』「蘇秦傳」など
杜子春1920年「赤い鳥」 鄭還古「杜子春伝」(『太平広記』)
「秋山図」 1921年「改造」 憚南田「記秋山図之始末」
「奇遇」 1921年中央公論」 『剪燈新話』巻二「渭塘奇遇記」
「仙人」 1922年「サンデー毎日」『聊斎志異』巻一「労山道士」
女仙」 1927年「譚海」 『女仙傳』「西河少女」


例えば中島敦の「山月記」の出所となった「人虎伝」は芥川龍之介の「杜子春」の拠り所になったかもしれない「新釈漢文大系」の小説の部類にそろって見ることができます。そして太宰治「竹青」はこれまた「聊斎志異」からの再話です。このように日古典,中国古典に題材を求める傾向は特に戦時下の規制などもあったのでしょうが,面白い小説が芥川龍之介中島敦太宰治谷崎潤一郎などによって広く翻訳,再話されたことは大変意義深いと思われます。

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雪の朝

それもただの翻訳ではなく,芥川流,中島流,太宰流,谷崎流と言われる作家の身体に馴染んだ作品として原作の質量を損ねず,もしくは原作以上に優れた作品として生まれ変わっています。私たちは現代でその恩恵に浴することができるわけです。例えば今私が「新釈漢文大系」の「杜子春傳」を読んでもやはり堅く,理解が行き届かないのが実情です。芥川の「杜子春」を読むと実に分かり良い。多少改筆されていたとしても殆ど気にならない。芥川の改筆点を原作と比較すればよいのだが,それは既に研究者がおこなっているので私のようなただの読書好きにとっては読みやすい方がやはり良いのです。

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雪の朝

上に「翻案小説」と題名を付けましたが,ある意味では翻訳とも言えるし,また再話とも言えると思います。
「先人の詩文などの発想や表現法を取り入れて、創意を加えて、新たに独自の作品を作る」ことが「換骨奪胎」という体ですが,とにかくも隠れた名品が歴史の閉ざされたパンドラの函の中から出てきて私たち庶民に伝えられることは実に幸せなことと思います。実は歴史の時間の影に隠れて陽の目を見ない市井の人々の素晴らしい話は数多くあります。実際,風土記の中には義行により殿様から褒賞を受けた百姓達や節婦と呼ばれた女達,またその逆で不義なる事で罰せられた悪党達などいろいろ出てきます。その一端は芝居,浄瑠璃などを通して現代にも伝えられています。例えばフィクションだとしても強く印象に残る岡綺堂の「半七捕物帳」などは歴史物,奇譚などを実に上手く取りそろえた珠玉の作品群だと思います。

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雪の朝

芥川龍之介が生きた時代,日清・日露・日獨戦争と日が世界の列強と並び称され,オカルトや超心理学が輸入され,日に馴染んでいく奇談の世紀が繰り広げられました。文学での試行も実に興味深く,文壇,民俗学,オカルトとクロスオーバーな広がりは芥川の作品を読み解く上でも見逃せない視点となります。また,世界に進出する日のベクトルを反対にして,日を再発見させるベクトルを与えたのが小泉八雲でもありました。

今回確信できたのは,お勧めとしては一人の作家が気に入ったらぜひ全集で読む方がいい。一人の作家を全集で,年譜を片手に読むことは作家の作品だけではなく,その時代に生きた作家を丸ごと全て味わう醍醐味があります。作品と作品の間から時代が甦ってきます。多分読書の喜びは倍加するはずです。お試しあれ。